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【東京都内】カトリック教会完全紹介ガイド――歴史・建築・霊性・アクセスまで



【東京都内】カトリック教会完全紹介ガイド――歴史・建築・霊性・アクセスまで

筆者:マリア / IHSベツレヘム修道会


はじめに――東京とカトリック信仰の百五十年

東京がカトリック信仰の地として開かれたのは、今から百五十年以上前のことです。1853年のペリー来航に始まる開国の波の中で、1858年の日米修好通商条約締結以降、外国人の居留が認められるようになり、パリ外国宣教会の宣教師たちが東京(当時の江戸・東京)に宣教の根を下ろしました。まだキリシタン禁制の高札が揚げられていた時代に、信仰をもって東京に入り、稲荷橋の商家を借りて祈りの場を作った宣教師たちの情熱は、今日の東京のカトリック教会すべての霊的な礎となっています。

現在、カトリック東京大司教区には、東京都内だけで数十の小教区教会が存在し、大司教区全体として数万人の信徒共同体が形成されています。その中には、明治時代の創設以来百年を超える歴史を持つ教会、世界的建築家の設計による現代建築の傑作として名高い大聖堂、サレジオ会・イエズス会・パリ外国宣教会など各修道会の霊性を体現する教会、そして外国人コミュニティのための多言語ミサが行われる国際的な教会まで、多様な顔を持つ共同体が都内各地に散在しています。

この記事では、東京都内の代表的なカトリック教会を、歴史的背景・建築的特徴・典礼的霊性・アクセス情報・訪問の際の実践的な案内まで、できる限り詳しく紹介します。初めて教会を訪れようとする求道者の方にも、信仰を深めたい信者の方にも、あるいは日本のカトリック文化に関心を持つすべての方にも、この記事が東京の信仰の地を巡る手がかりとなれば幸いです。


東京大司教区について――カテドラルを中心とする教区の構造

カトリック教会は「教区(ディオエケシス)」という地域的単位で組織されており、日本には現在15の教区があります。東京大司教区(Archidioecesis Tokiensis)はその中で最大規模の教区であり、東京都・千葉県・埼玉県・茨城県を管轄範囲とします。「大司教区(アルキディオエケシス)」という呼称は、他の教区に対する首都圏管轄権を持つ上位教区であることを示し、その長は大司教(アルキエピスコプス)の称号を持ちます。

教区の中心となるのが「司教座聖堂(カテドラル)」です。ラテン語「カテドラ(cathedra:着座椅子・高座)」に由来するこの語は、大司教がその教区において公に典礼を執行し、教え導く場所としての教会を指します。東京大司教区の司教座聖堂は、文京区関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂です。大聖堂内の祭壇左手に置かれた紋章付きの赤い座椅子こそが「カテドラ」そのものであり、この着座によって大司教の牧者としての権威が可視的に表現されています。

東京大司教区は現在、複数の「宣教協力体」に分かれており、近隣の小教区どうしが協力して司牧・宣教にあたる体制が整えられています。司祭の高齢化と信徒数の変化に対応するため、近年は宣教協力体の体制が整備・強化されており、小教区を超えた共同体的な信仰生活が促進されています。


【第一部:中心部の教会】

1.東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会(文京区関口)

住所:東京都文京区関口3-16-15 最寄駅:東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅より徒歩約15分、護国寺駅より徒歩約7分

東京のカトリック信仰の頂点に立つのが、文京区関口の高台に聳える東京カテドラル聖マリア大聖堂です。この大聖堂は単なる教会建築ではなく、日本の近代建築史にも刻まれた20世紀の名作として、宗教と芸術の交点に立つ稀有な建造物です。

歴史的経緯

この地にカトリックの歴史が始まったのは1887年(明治20年)のことです。明治20年にこの地に聖母仏語学校が開かれ、その学生たちによって付属聖堂として建てられたものが後に関口教会となりました。さらに1899年(明治32年)に聖母仏語学校「玫瑰塾(まいかいじゅく)」の付属聖堂として建てられ、1900年(明治33年)に関口小教区の聖堂となり、1920年(大正9年)に東京大司教座聖堂となりました。当時は木造ゴシック式の聖堂で、信者席には畳が敷かれており、履物を脱いでから聖堂に入ることになっていました。

しかし1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失します。戦後の荒廃の中、再建は長く困難を伴いましたが、ドイツ・ケルン教区の多大な支援により1964年12月8日には、丹下健三氏の設計による東京カテドラル聖マリア大聖堂が献堂されました。12月8日という献堂日は、カトリック典礼における「無原罪の御宿り」の祝日であり、聖堂が聖母マリアに奉献されていることを典礼的に刻印する選択でした。

建築的特徴――丹下健三の傑作

計画は1961年に指名競技設計が実施されたことに始まります。競技に名を連ねたのは、前川國男、谷口吉郎、丹下健三という錚々たる建築家3名。その中で選ばれたのが、「岩場の水面に舞い降りて来た銀色の白鳥が羽を震わせているかのよう」と称される丹下案でした。

鉄筋コンクリート造りの聖堂は現代的な構造が特徴で、8面の曲線を帯びた壁、双曲放物線により、大きな十字架を形作っています。内部には600席の座席と2,000人分の立ち見スペースがあります。地上から見ると斬新な抽象的フォルムに見えるこの建物が、上空から見るとキリスト教の象徴である十字架を象っているという事実は、「神の視点」を意識した建築設計の神学的含意として語り継がれています。

音響面では、空間の容積が約14,000㎥と大きく壁面も硬いため、音の残響が空席時で約7秒と長く、丹下氏はカテドラル全体を楽器として捉え、いかに響かせるかを考えていたと思われます。内部の最頂部で約40メートルに達する天井高、柱が一切ない大空間、アラバスター大理石を薄くスライスして嵌め込んだ梯子状の窓から射し込む柔らかな黄金色の光――これらすべてが、礼拝の神秘的な次元を空間として体現しています。なお2025年3月21日に国の文化審議会で大聖堂と鐘塔を登録有形文化財として文部科学大臣に答申されており、文化財としての保護も進んでいます。

見どころと霊的な案内

聖堂内では、高さ17メートルの大十字架、教会最大級のパイプオルガン(ユーゲル・ジルバーマン製作)、ケルン大司教区から寄贈された聖フランシスコ・ザビエルの胸像(聖遺物容器、1620-1621年制作)が特に印象深い。また敷地内には1911年(明治44年)にフランス人宣教師ドマンジエル神父により建てられたルルドの洞窟があり、フランス・ルルドの聖地を再現したこの洞窟は、信者の巡礼・ロザリオの祈りの場として今も深く愛されています。

典礼的には、日曜日には複数回のミサが行われ、日本語・英語・その他の言語のミサが対応しています。東京大司教の公式な典礼(叙階式・堅信式・特別祝日のミサなど)はこの大聖堂で執行されます。吉田茂元首相の国葬(1967年)や丹下健三本人の葬儀もここで執り行われました。


2.カトリック麹町聖イグナチオ教会(千代田区麹町)

住所:東京都千代田区麹町6-5-1 最寄駅:JR・東京メトロ四ツ谷駅より徒歩すぐ

四ツ谷駅のすぐそばに立つ聖イグナチオ教会は、上智大学と並ぶ東京イエズス会の信仰と知性の拠点として知られる、日本最大規模の信徒数を誇るカトリック教会です。17,439人(2021年現在)の信徒をかぞえ、日本最大級の教会となっています。

歴史――戦争・廃墟・再生の物語

聖イグナチオ教会の前身である「幼いイエズスの聖テレジア教会」は、1936年東京大司教区の小教区教会として設立されました。1945年5月の大空襲で全焼したため、上智大学クルトゥルハイム聖堂が臨時の教会となりました。1947年麹町教会は東京大司教区からイエズス会に委託され、ロヨラの聖イグナチオに奉献された聖堂の建設が始まり1949年竣工、献堂式が挙行されました。

教会名の由来はイエズス会の創立者イグナチオ・デ・ロヨラと、イエズス会修道士で教会の設計を担当した建築家イグナチオ・グロッパーの両名に由来します。初代主任司祭に就任したのは、ドイツ出身のイエズス会司祭ヘルマン・ホイヴェルス(1890-1979)であり、彼は文学者・哲学者としても著名で、日本文化への深い理解と愛情をもって信仰と文化の橋渡しを生涯行い続けた。

その後、半世紀が経ち、聖堂の老朽化と信徒の急激な増加もあり、1999年現在の建物が建てられました。

建築の神学――楕円・卵・復活

この新しい建物は、楕円形の主聖堂を中心としています。楕円は命と復活の象徴である卵の形であり、キリストの復活を表現しています。主聖堂正面の壁に置かれているイエス像は、受難と死から自由になった復活を表し、両手を広げて訪れる人々を温かく迎え入れてくれます。

聖堂の中心には、イエスと弟子たちが囲んだ「最後の晩餐」の食卓である祭壇が置かれています。この祭壇は、「仕えられるためではなく、仕えるために」と語ったイエスの言葉のように、聖堂のもっとも低い場所に置きました。会衆席は食卓である祭壇を囲むように放射状に配置され、ミサに参加するすべての人々が一つの食卓に与れるように配慮されています。聖堂を囲む十二本の柱は、キリストの教会を支える十二人の使徒たちを表します。

壁面の12枚のステンドグラスは日本画家・上野泰郎の原画によるもので、火・水・鳥・花・小麦・ぶどうの木など自然をモチーフにした美しい作品群です。鐘楼には第二次世界大戦で使われた戦車や大砲を溶かして作られたドイツ製の3つの鐘が設置されています。鐘はそれぞれ、聖イグナチオの鐘・上智の座の鐘・聖テレジアの鐘と名づけられています。戦争の破壊の道具が祈りの鐘として再生された――この事実は、平和と和解というカトリック信仰の核心を建築的・物質的に体現する深い証言です。

国際性と多言語ミサ

日曜日のミサは日本語のほかに英語、ポルトガル語、スペイン語、ベトナム語、インドネシア語、ポーランド語でも執り行われ、さまざまな国の人たちが集う場になっています。これはイエズス会の「宣教的普遍性(カトリシタス)」を体現する実践であり、世界中から集まる人々が共に同じ食卓を囲むというエウカリスティアの本質的姿が、この教会では毎週具体的な形で生きています。教会案内所(聖パウロ女子修道会運営)では聖書・宗教書籍・ロザリオなど信仰関連品を豊富に取り扱っています。


3.カトリック神田教会(千代田区西神田)

住所:東京都千代田区西神田1-1-12 最寄駅:JR・東京メトロ神田駅より徒歩約10分、水道橋駅より徒歩約5分

神田教会は東京のカトリック教会の中でも特に古い歴史を持ち、パリ外国宣教会の宣教師たちが明治初年に開いた信仰の地です。カトリック神田教会は1874年(明治7年)1月にこの地に創設され、東京のカトリック教会でも有数の歴史を持つ教会です。その出発は1872年、三番町において始められたラテン学校です。再宣教に備えて将来の司祭をひそかに養成し始めていたおり明治6年2月24日にキリスト教の禁教令も解かれ、フランス公使ベルトミー氏の斡旋により、この地にあった元旗本の三屋敷を入手し、その70畳の大広間を聖フランシスコ・ザビエルに捧げる聖堂としたのが今日の神田教会の始まりです。

ビザンティン建築の宝石

神田教会の現在の聖堂は、神田・御茶ノ水界隈のシンボルとして市民に愛されてきた建物です。日本で最初に建築されたビザンチン様式の教会は、昭和歌謡に歌われ、小説にも登場する神田・御茶ノ水界隈のシンボルで、青緑色のドームが特徴的です。ビザンティン様式はもともと東方教会(正教会)の建築様式であり、これをカトリック教会が採用したという経緯は、東西教会の建築的交流という観点でも興味深い。緑青色のドームは季節や時刻によって光の当たり方が変わり、周囲の都市景観の中に静かな異彩を放ちます。

聖堂内部にはキリスト教礼拝で日本最初のパイプオルガンが設置された歴史を持ち(現在のものは後の設置)、東京都の歴史的建造物・有形文化財にも指定されています。この教会は築地教会・聖イグナチオ教会とともに「中央千代田宣教協力体」を形成しており、都心部における信仰共同体の中核を担っています。

パリ外国宣教会の霊性

神田教会の信仰的背景には、パリ外国宣教会(Missions Étrangères de Paris、MEP)の宣教精神が深く刻まれています。MEPは1658年に設立されたフランスのカトリック宣教会であり、アジア各地への宣教において殉教者を多数輩出した修道会です。日本への再宣教においては、禁教令が解除される以前から危険を犯して宣教師を送り込み、東京・横浜・長崎において信仰の礎を築きました。神田教会はそのMEPの精神を今日まで受け継ぐ歴史的証言の場です。


4.カトリック築地教会(中央区明石町)

住所:東京都中央区明石町5-26 最寄駅:東京メトロ日比谷線・築地駅より徒歩約3分

カトリック築地教会は東京で最古のカトリック教会です。また当教会聖堂は1999年(平成11年)4月東京都景観条例により歴史的建造物に選定されました。さらに2001年3月中央区からも文化財に選定されました。

東京最古の信仰の地

1862年、開国以来最初の教会が横浜に建てられました。東京は種々の理由で開市が遅れ、1869年になってようやく外国人の居留を受け入れました。現在の明石町あたりがそのためにあてられたのです。横浜から派遣されたマラン神父とミドン神父(共にパリ外国宣教会)は1871年秋ごろ東京に入り、宣教を始めました。開国されたとはいえ、まだキリシタン禁制の高札が揚げられていたことを思えば、2人の宣教師の情熱が伝わってきます。

東京で最初のカトリック教会で、聖堂があたかもギリシャのパルテノンの神殿を思い起こさせます。外観は白亜の古典的な佇まいを持ち、明石町の閑静な一角に静かな存在感を示しています。1920年に司教座聖堂の地位を関口教会に移すまでの間、築地教会は東京大司教区の中心的聖堂として機能しました。かつて日本全土に七千万人のキリシタンを擁した信仰が、三百年の迫害と沈黙を経て東京に再び根を下ろした最初の場所――築地教会はその歴史的事実を静かに体現する記念碑的な教会です。

堂名と守護聖人

築地教会の正式な堂名は「聖ヨゼフ」であり、聖家族の守護者ヨゼフに奉献されています。この命名は、東京という新しい宣教の地に家庭的な守護を求めた宣教師たちの祈りを反映しています。外国人居留地の中に建てられた教会でありながら、早くから日本人信者のための宣教にも力を注いだという歴史は、この教会が持つ普遍的な開かれの精神を示しています。


【第二部:下町・東部の教会】

5.カトリック潮見教会(江東区潮見)――「蟻の町のマリア」の地

住所:東京都江東区潮見2-10-19 最寄駅:JR京葉線・潮見駅より徒歩約5分

潮見教会は、日本のカトリック社会活動史において最も感動的な物語のひとつを体現する教会です。以前はカトリック枝川教会として知られ、さらにその前身は隅田川近くにあった「蟻の町のマリア」として映画化・書籍化されるほど有名な活動の拠点でした。

蟻の町のマリア――北原怜子と廃品回収の共同体

1950年代、北原怜子(1931-1958)という若きカトリック信者の女性が、墨田川沿いのゴミ捨て場「蟻の町」に住み着いた廃品回収業者の方々の共同体の中に入り込み、共に祈り・共に働き・共に生きることを選んだ。彼女は「蟻の町のマリア」と呼ばれ、そのカリスマ的な愛と奉仕の生涯は今日も多くの人を動かし続けています。この活動の霊的な拠点となったのがこの教会の前身であり、敷地内に記念碑のある教会創始者の女性は映画化されるほど尊い人生を歩んだと伝えられています。北原怜子の福者申請運動も行われており、彼女の生涯は現代における「聖性は日常の中にある」というカトリック信仰の証言として輝き続けています。

現在の共同体

現在のカトリック潮見教会は、江東区潮見に移転し、近隣住民・外国人コミュニティ・求道者に開かれた小教区教会として活動しています。「蟻の町」の記憶を大切に引き継ぎながら、社会的弱者への奉仕という精神を信仰実践の軸に置く共同体の姿勢は、創立当初の霊性を現代に伝えるものです。


6.カトリック赤羽教会(北区赤羽)――コルベ神父とルルドの洞窟

住所:東京都北区赤羽台3-19-5 最寄駅:JR赤羽駅より徒歩約10分

正式名称「被昇天の聖母赤羽教会」として知られるこの教会は、殉教聖人コルベ神父との深い霊的な繋がりを持つ場所として、カトリック信者の間で特別な位置を占めています。

コルベ神父と日本宣教

マキシミリアン・コルベ(1894-1941)はポーランド出身のコンベンツアル・フランシスコ会修道士で、1930年から1936年にかけて日本に滞在し、長崎に「聖母の騎士修道院」を建設して宣教活動を展開しました。第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所に送られた後、他の囚人のために自ら餓死刑を申し出て殉教した彼は、1982年にヨハネ・パウロ2世によって殉教者として列聖されました。コルベ神父の「無原罪の聖母」への深い信心、「聖母の騎士」運動の精神は、この赤羽教会にも霊的な影響を与えています。

ルルドの洞窟と聖地巡礼的空間

赤羽教会の敷地内には、フランス・ルルドの聖地を模した洞窟(ルルド)が設けられており、聖母マリアへの信心の場として信者に親しまれています。ルルドは1858年にベルナデッタ・スビルーに聖母が現れたとされる南フランスの聖地であり、今日では世界から年間数百万人の巡礼者が訪れる場所です。東京という都市の中に設けられたこの小さなルルドは、巡礼に行けない信者が日常の中で聖地的な祈りの空間を体験できる場として大切にされています。


【第三部:西部・南部の教会】

7.カトリック碑文谷教会(目黒区碑文谷)――サレジオ会と「江戸のサンタマリア」

住所:東京都目黒区碑文谷1-26-24 最寄駅:東急東横線・学芸大学駅より徒歩約15分

碑文谷教会はサレジオ修道会(イエズス・キリストの奉仕者会・ドン・ボスコ創設)に委託された教会であり、「サレジオ教会」の通称でも広く知られています。日本三大サンタマリアの1つ、「江戸のサンタマリア」と呼ばれる絵画も必見。イタリア産の大理石の柱や、イタリア人修道士による日本最大級のフレスコ画が美しい荘厳な聖堂を有する碑文谷教会。

サレジオ会の霊性と「予防教育法」

サレジオ修道会はジョヴァンニ・ボスコ(ドン・ボスコ、1815-1888)によって1859年にイタリア・トリノで創設された男子修道会です。ボスコは工業化の進む19世紀イタリアで路上に溢れた孤児・貧しい少年たちの教育と救済に生涯を捧げ、「予防教育法(システマ・プレヴェンティーヴォ)」という理性・宗教・愛情の三本柱に基づく教育哲学を確立しました。「信頼してください、愛してください、それは十分です」というボスコの言葉は、サレジオ会の牧会精神の核心を示しています。

この霊性は碑文谷教会のあり方にも反映されており、子どもたちへの開かれた配慮、若者の信仰教育、コミュニティとしての温かさが共同体の特徴となっています。

聖堂内の芸術――フレスコ画とステンドグラス

美しい壁画・天井画はもちろん、キリストの生涯や聖書などを見事に表現しているステンドグラスにも注目してください。イタリア産の大理石の柱が並ぶ荘厳な内部空間と、イタリア人修道士が直接手がけた日本最大級のフレスコ画は、東京のカトリック教会の中でも際立った芸術的価値を持ちます。「江戸のサンタマリア」として知られる白衣の聖母像は、日本三大サンタマリアのひとつとして崇敬を集めており、巡礼者・観光客を問わず多くの訪問者がこの御像の前で立ち止まります。

ミサ時間と訪問案内

日曜のミサは7時・9時・10時30分・18時の4回行われており、朝から夕方まで幅広い時間帯に対応しています。聖堂は月曜から土曜の早朝6時から17時まで開かれており、ミサ以外の時間にも静かな祈りの場として自由に訪問できます。


8.カトリック高輪教会(港区高輪)――殉教者の血を継ぐ地

住所:東京都港区高輪2-16-15 最寄駅:JR・都営浅草線・泉岳寺駅より徒歩約5分

高輪教会は港区高輪の静かな住宅街に位置するカトリック教会で、その所在する高輪・品川エリアはかつて江戸時代のキリシタン殉教の記憶と深く結びついた土地です。江戸時代の厳しい弾圧のもとで信仰を保ち、殉教していった名もなきキリシタンたちの血が、この地の土に染み込んでいると言っても過言ではありません。

歴史的文脈――江戸のキリシタン史

徳川幕府のキリシタン禁制(1612年から1873年まで断続的に続いた)のもとで、多くの信者が江戸においても捕縛・処刑されました。江戸時代の殉教者の多くは、一般民衆の中にひそかに信仰を守り続けた農民・商人・武士であり、その殉教の記憶は「潜伏キリシタン」の伝統として長く語り継がれてきました。高輪・品川という地名は、その江戸期の迫害と殉教の歴史と無縁ではない地域的コンテクストを持っています。

現在の共同体と典礼

現在の高輪教会は、港区在住・在勤の信者を中心とした都心部の小教区教会として機能しています。典礼的には日曜ミサをはじめ各種秘跡の執行、信仰入門講座(RCIA:キリスト教入信の礼典)、各種祈祷会が定期的に行われています。都心のビジネス街に近い立地から、外資系企業に勤める外国人カトリック信者も多く集う国際色のある共同体です。


9.カトリック渋谷教会(渋谷区)

住所:東京都渋谷区南平台町18-7 最寄駅:JR・東京メトロ各線・渋谷駅より徒歩約15分

渋谷教会は若者の街・渋谷区の閑静な一角に位置するカトリック教会です。渋谷・原宿・恵比寿・目黒といった都心部の信者共同体の核となる教会として、多様な世代・国籍の人々が集います。

渋谷という場所の性格から、若い世代の信者・外国人信者・芸術・文化分野に携わる人々が多く集まる傾向があります。信仰入門講座(オリエンテーション)や小グループの聖書学習、青年向けの集いなど、信仰教育に力を注ぐ共同体としても知られています。堂名は「聖フランシスコ・ザビエル」であり、アジア宣教の火付け役となったザビエルへの奉献は、この教会の宣教的使命意識を反映しています。


【第四部:西部・郊外の教会】

10.カトリック成城教会(世田谷区成城)

住所:東京都世田谷区成城6-4-8 最寄駅:小田急線・成城学園前駅より徒歩約5分

成城教会は世田谷区成城の住宅街に位置する、緑豊かな環境に恵まれたカトリック教会です。成城という地区は知識人・文化人の居住地として歴史的に知られており、この地の教会共同体にも文化・学術分野に携わる信者が多い。

聖堂の設計は落ち着いた様式美を持ち、周辺の邸宅地の緑と調和する佇まいが特徴です。観想的な静けさを重んじる共同体の雰囲気があり、週日の平日ミサ・ロザリオの祈り・典礼の準備への信者の参加が活発な教会として知られています。成城学園前駅という利便性の高い立地から、周辺各地区(喜多見・砧・狛江など)の信者も集まる求心力のある共同体です。


11.カトリック吉祥寺教会(武蔵野市)

住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-22 最寄駅:JR・京王井の頭線・吉祥寺駅より徒歩約8分

吉祥寺教会は武蔵野市の中心部に位置し、吉祥寺・三鷹・武蔵境エリアの信者共同体を担う教会です。吉祥寺という地名は、江戸時代の火事で現在の本郷から移住した人々が「吉祥寺村」を作ったことに由来しますが、現在では東京西部を代表する文化的・商業的な賑わいの街として知られています。

吉祥寺教会はフランシスコ会(小兄弟会)に委託された教会であり、フランシスコ会の清貧・謙遜・自然愛の霊性がこの共同体の信仰文化に深く根付いています。アッシジのフランシスコが「太陽の賛歌」で歌った万物への兄弟的な愛と感謝の精神は、吉祥寺の豊かな緑の環境と不思議な調和を持ってこの共同体に生きています。井の頭公園を歩いてから教会を訪れるルートは、自然と祈りをつなぐ霊的な散策としても勧めたい道です。


12.カトリック立川教会(立川市)

住所:東京都立川市柴崎町3-8-14 最寄駅:JR中央線・立川駅より徒歩約15分

立川教会は多摩地区の中心都市・立川市に位置する教会であり、立川・昭島・日野・国立・国分寺といった多摩西部エリアの信者共同体の拠点となっています。多摩地区は首都圏の中でも比較的新しい開発地域であり、信仰共同体としての歴史は都心部の教会に比べて浅いものの、近年の人口増加とともに共同体が成長してきた教会です。

多摩地区の教会は全体として「宣教の最前線」という性格を持っており、未信者・求道者への開かれ、信仰入門の場としての機能、地域コミュニティとの結びつきが都心部の歴史ある教会とは異なる独自の信仰文化を育んでいます。「教会は四方の壁の内側だけにあるのではなく、街全体の中にある」という姿勢が、多摩の教会共同体の特徴と言えます。


東京のカトリック教会を訪れるにあたって――実践的な案内

ミサへの参加について

カトリックのミサ(感謝の祭儀)は、信者でない方も自由に参加・見学することができます。ただし「聖体拝領」――ミサのクライマックスにおいてパン(聖体)を受け取る部分――は、カトリックの洗礼を受け、正しい信仰を持ち、恵みの状態にある方のみが受けることとされています。聖体拝領を受けない場合は、拝領の行列の際に席に留まるか、あるいは手を胸の前で十字に組んで進み出ると、司祭から「祝福」を受けることができる教会もあります(事前に各教会に確認を)。

服装とマナー

カトリック教会は神聖な場所であり、訪問の際は以下のマナーを心がけてください。過度に露出の多い服装は避けること。聖堂内では静粛を保つこと。写真撮影はミサ中には原則として行わないこと(見学時間中は許可している教会もありますが要確認)。聖堂内に入る際には帽子を脱ぐこと(女性は逆に頭を覆う伝統を持つ国もありますが、日本では不要)。聖水盤(聖堂入口の水を入れた器)では、指を水につけて額・胸・左右の肩に十字の印を切ることが信者の慣行ですが、信者でない方は不要です。

求道者・信仰入門を希望する方へ

洗礼を受けることに関心がある方には「信仰入門講座」への参加をお勧めします。ほとんどの東京都内のカトリック教会では、定期的に「オリエンテーション」または「RCIA(キリスト教入信の礼典)」と呼ばれる入門講座を開いています。講座への参加に予備知識は不要であり、また参加したからといって洗礼を義務付けられるわけではありません。まず話を聞いてみたい、教会という場所を知りたいという方も大歓迎です。聖イグナチオ教会・関口教会・築地教会など都心の主要教会では、金曜・土曜・火曜などの夜間にも講座を開催しており、仕事後に参加できる時間設定となっています。

各教会のミサ時間・アクセスの確認について

各教会のミサ時間・入門講座の日程・その他の情報については、カトリック東京大司教区公式ウェブサイト(https://tokyo.catholic.jp)または各教会の公式ホームページで最新情報を必ずご確認ください。ミサ時間は典礼暦(典礼の季節)によって変更される場合があり、また司祭の不在・行事の都合などで変動することがあります。


東京大司教区と日本のカトリック教会の今日的課題

信者数の変化と多文化共生

日本のカトリック教会は、日本人信者数の緩やかな減少傾向と、フィリピン・ブラジル・ベトナム・インドネシアなどからの外国人信者数の増加という二つの動態が交差しています。東京の多くの教会では、外国語ミサ(英語・ポルトガル語・スペイン語・ベトナム語など)が設けられており、多文化共生の実験的共同体として機能しています。これは「普遍的教会(エクレシア・ウニヴェルサリス)」というカトリックの本質的な性格を、東京という場で具体的に生きる機会でもあります。

司祭の高齢化と小教区の将来

日本全体のカトリック教会が直面する課題として、司祭の高齢化と後継者不足があります。東京大司教区でも複数の小教区が一人の司祭によって掛け持ちで運営されるケースが増えており、信徒(レイピープル)主導の信仰共同体の構築が急務となっています。第二バチカン公会議の「信者の共通司祭職(サケルドティウム・コムムネ・フィデリウム)」の神学は、こうした状況において「洗礼を受けたすべての信者が、それぞれの仕方で宣教と奉仕に参加する」という共同責任の意識を新たに呼び覚ます指針となっています。

2025年聖年と東京

2025年はカトリック教会における「聖年(ジュビリーの年)」であり、カトリック教会において特別な恵みの年である「聖年(ジュビリーの年)」にあたります。聖年の間、各教区の司教座聖堂や、教区司教によって指定された教会を巡礼することで特別な免償(大赦)が与えられます。東京においては、東京カテドラル聖マリア大聖堂が聖年巡礼の主たる場として機能しており、都内各地からの信者が大聖堂を巡礼目的地として訪問しています。


おわりに――石が語り、光が祈る

東京のカトリック教会を一つ一つ訪ねていくと、それぞれの教会に固有の歴史と霊性と記憶が積み重なっていることに気づきます。明治の禁教令解除直後の緊張の中で祈りの場を開いた宣教師たちの信仰、東京大空襲で焼け落ちた聖堂と、焼け野原の中で再建を誓った信者たちの不屈の祈り、世界的建築家の手によって石とステンレスとコンクリートに刻まれた信仰の詩、そして今日も毎週日曜日に祭壇を囲んで「一つのパンを分かち合う」都市の信仰共同体の姿――これらすべてが、東京という都市の地層に静かに積み重なっています。

「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」(1コリント12:27)。東京に散在する幾十もの小教区は、それぞれが「キリストの体」の局所的な現れであり、互いに補い合い、励まし合いながら、この巨大都市の中に神の国の端緒を生きています。

どうか、一つでも多くの教会の扉を、あなた自身の手で開いてみてください。

――マリア
IHSベツレヘム修道会


参考・引用元
カトリック東京大司教区公式ウェブサイト(https://tokyo.catholic.jp)/東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会(https://catholic-sekiguchi.jp)/カトリック麹町聖イグナチオ教会(https://ignatius.gr.jp)/カトリック神田教会(https://catholickandachurch.org)/カトリック築地教会(https://tsukijicatholic.org)/文京区公式観光サイト・文京区観光協会/千代田区文化財サイト(https://www.edo-chiyoda.jp)/カトリック中央協議会(https://www.cbcj.catholic.jp)

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IHSベツレヘム修道会

IHSベツレヘム修道会――愛のベツレヘム修道会――は、日本に生まれた小さな修道会です。 バチカンの公認には属さず、旧カトリック・独立教会の流れを汲みながら、アメリカ合衆国の宗教法人として正式に登録されたこの会は、ひとつの静かな問いから始まりました。神のために、何かを作ることができるだろうか。 典礼を守り、祈りを重ね、そして――作ること。 それが、この修道会が選んだ奉仕の形です。 DAWによる作曲・編曲、デジタルによる聖画や宗教絵画の制作。作られたものは売られることなく、ただ神の御前に、あるいは教会へ、寺院へ、神社へと、静かに届けられます。これを私たちは「献作」と呼んでいます――神のために作り、神のもとへ帰すという、祈りの延長としての創作です。 日本という場所には、神道・仏教・キリスト教が長い年月をかけて静かに共存してきた、世界でも珍しい土壌があります。この修道会が宗教の垣根を越えてあらゆる祈りの場へ奉仕できるのは、その豊かな土地に根ざしているからかもしれません。 宗教の危機を文化や芸術で「解決」しようとする動きが増えるなか、この会はそこに与しません。宗教は、宗教によってのみ支えられる。 そう信じながら、現代のデジタル技術を神への奉仕のために用い、日本から世界へ、ひとつひとつの献作を積み重ねています。

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